昭和42年06月14日 朝の御理解
神様に通う心とでも申しますかね、それは色々ございましょうけれども、真心有り難いと真に有り難いと思う心。そういう心が神様に響いて神様の心を打つのですね。ですからまあ、ありとあらゆる神様のお心に有り難い意味合いにおいて響いていく通うていくそういう心を私ともの心の上に頂かせて頂こうと精進させて頂く、そこに限りなく美しくなりましょうと。ね、改まらなん磨かなんと。いうわけになるわけです。
そういう中にですね、もう神様が本当に喜んで受けてくださるというか、喜んでいやそういう心掛けを、本当に心から、神様が願ってござるという心の中にですね、あの人がああ言うた、あの人がああ私にああいう態度をとったと。と言うときにですねそれが自分の心に全然ひっかからないという心。あっちがあっちならこっちもこっちというような心はそれは確かに神様に響いていくけれども。
それはもう神様がいやな嫌な思いでそれを、ご覧になったりお聞きになったりするような心なのですよ。私は今朝の朝の御祈念でですね、もう本当にもう肝に銘じてというかね、もう五体に響いてくるのですよ。今日は四、五人お参りになったかたはそれを感じられたと思うのですけれどもね。もうそのお勇みが四回続けてございましたがね。私はこれを着とってからですね、この板張りの下から響いてくるのですから。
もうそれはなんともいえんですね、なんともいえんその異様なお勇みです。ねもう本当にもうこれを頂いたら、本当に神様がござる、ござらんとかと、そんなこと一遍でもいえんと思うようなお勇みを、四回続けてございました。それがですね、私があの御祈念の座についてから昨日、一昨日でしたかね、一昨日私親教会に先生が用があるから出て来いということでございましたから参りました。
その中でその、私のここの教会長問題で先生が色々ご心配をおかけしておるのですけれども、まあだその、甘木関係に二三間の、二十件からございますね。連合会が。その数が特に甘木関係の三件か四件かの教会がそれを快しとしない。どころかそれとは反対。もうそのために合楽が困る問題ではない、なおでん自分達は認めないといったような働きが、働きというかそういう雰囲気があるということなんです。
そのことを私ちょっと、心にね思わして頂きよったら、誰がそげな事を思いよるじゃろうかと。と言う様な気持ちが一つも私の心の中にないことなんです。もう神様のご都合に違いがないと嫌、誤解に違いがないと本当のことが分かられたらまあその人達でも必ず、私の教会長問題私の教師問題でもです、もう恐らく思考を駆使して下さる事に違いはないと言う様な思いが続けて耽美にですねあのお勇みでしたのですよ。
また実際に私は問題にしていませんですもんね。この事はけれども是は一時が万事なんですよ。あれがあぁいうた事だけは俺は忘れん。もうこういう心は神様にもう響いていくでしょうけれどもね、もうこの氏子ばかりはと神様がですね、難儀な思いをなさる時なんですよ。私はあの人からああ言われた。私はあの人からこうされた。ああ言われたおかげで、ああされたおかげで私はこういうおかげを受けたという心なんです。
おかげ、神様へですね響いていく心は。昨日のあの13日会に前後してあの引き続いての会合が夕べ丁度9時の御祈念のちょっと前まで皆さん、残っておられました。婦人の方達で秋永先生と秋永先生の奥さんが残っておられました。そして皆さんは共励殿でお話し合いがあっておる。私共は私の控えでお話をしておりますときです。もう今日の婦人部の方達は婦人部の方達でお話し合いがあっておりましたね。
色々な役作りというですかその役なんかも。その中にある一人の婦人がですね、もう自分は何も役も無いのだから、私はもう早くかえらせてもらう。もうご無礼しますという人があった。そしたら、善導寺の久保山先生の奥さんですたいね、久保山さんがもう、それこそ普通はあんなに黙っておられる人がもう、いうならば、もうそれこそ、血相かえんばかりのその、態度でです。
又言葉でですね、今の椛目、今の合楽にはねそう言う様な小さいような考えでどうするですかと言う様な意味のことを言われた。もうそれこそ皆が本当になんと頼もしいことじゃろうかというてその、思うたという話をなさっておりました。私どんは何にも役がないけん、もう早、ご無礼私は帰ろうと。ね。もう一番神様がお嫌いになるこれはそういう心なんですよ。ね。本当に御用の出来る人。ね。
本当にその適任である人。まあ例えて一例をもってするならば、昨日の朝の御理解をいただかれたかたなんかは、ははあーと感じられるところがあっただろうと思うのですよね。あの、何何さんの前にその話しがございましたでしょうが。もうあれは、富永さんに匹敵することだと私は思いましたですね。なるほど、椛目にご縁を頂いてから、年数も短いし、なら熱心に打ちこんで信心をしたというわけでもない。
けれどもこれは、委員長がこの人ならばとあの人の頭脳を買ったわけなんですよ。ね、それは素晴らしい一つのひらめきと、まあ、大学を出ておられますから、いわば最高の学問を身につけておられるのですけれども、だけではない、なんというても素晴らしい、いつもその、アイデアを持っておられるわけです。ね。それを買ったわけなんです。だから信心が薄いとかそういうことじゃなくてですね。
もう是はこの人でなからなければならないというものは、もう今度はいろんな人情とかね義理とか、もうあの人はその長年の信者で毎日朝参りをしよりなさるけん、あの人ば使わなじゃこて、起用せじゃこてといったようなものではなくてですたい、もういうなら、そのものずばりに御用をできれる人達が寄りによられた。それを総代を始め、皆の方達の祈りと信心に支えられたらです。
この人だってももう若いけれども、特に若い層からという事なんです。ですから壮年、まだ青年部、からいうなら、卒業したばっかりというような、いわゆる実力派の人達を持って、その、網羅されたところの役割であった。ね。ですからそういう例えば祈りに支えられてこそ始めて御用が出来るのですから、どうぞよろしくお願いしますよ、さあ、あつらえるように私ともがといったような祈りこそ。
なからなければならんのに私は何も役がついておらんから帰るというようなですね、その、そういう浅はかなです、ね、そういう、私は、考え方というようなものはね信心をさせて頂いておる者の世界にあってはならないのですけれども、とりわけ私共の思うておること、行うておることがそのまま神様に通うていくと、しかも神様の喜びをもってそれをお受け頂くと言うことはです。
もうそういう事はもう淡々として、只一生懸命の是なら是を中心に例えば合楽のお広前のあれだけのお広前、そのままの中心にしてのごひれいを祈らなければおられないと言う様な心が通うのです。ありどんがいっちょやってみればよか、おりだんもう役がなかっじゃけ知らんと言った様な考え方がですね、露骨に出る人があるのです。ね。中には昨日んごっいつ知らん間にあれ、あの人めつからんが。
といいましたらもう帰りましたよち。もうまさしくそういうその考え方なんですね。あれがあれならこっちもこっちと。一つのお互いが根性をもたなければなりません。ね。けれども。その根性というものがどこまでもです、神様に好かれる根性でなからなければいかんのです。ね。いわゆる一つの根性が、なからなければですね、朝参りなんか出来やしません。一つのことをやりぬくと言う人は、やはり根性を持っておらなければ出来ることではありません。
けれどもです、それがつまらん。人の心に響いても、とりわけ神様の心に響いてもです、神様が顔をしかめなさるようなですね。いわゆる汚い根性は本当に捨てなければいけません。例えば誰々が悪口を言う。そげな事を言うたちのというてこちらがですね、その人の敵討ちをしようというような心でですよね。そう言う様な心が神様が一番嫌われれる心ですから、今お互いの心の中にないかというたらやっぱりあるのですから。
そういうものが結局あるということは限りなく美しくならせてもらうとか改まらせてもらうとか、磨くとかということの不足であると悟らせてもろうてです、神様に喜んで頂いて絶対これなら通うていくと言う様な心のね、使い方が出来れるおかげを頂きたいと思うですね。今日は神様に、響いていくというても喜んで受けてくださる、もう絶対に通うていくという心、もし信心が浅い時であったならば。
もし信心がない時であったならば、そう言う様な事を言われたなら腹もたったり、良し今に見ておれと言った様ないわば根性が起こったかもしれない。向こうが向こうならこっちもこっちと言う様な心が起こったかもしれない。けれども信心をさせて頂いておる今日はそう言う様な事がです、淡々としてさらさらとして、ね、それを受けて行けれるそういう心をです神様が喜んでくださるそういう、心が絶対神様に響いていくということを申しましたですね。
どうぞ。